5歳からエレクトーンを始め、様々な音楽と出会う中で鍵盤楽器以外にも興味を持ち、小学生の頃はマーチング部でアルトホルンを経験する。エレクトーンを通じてジャズやポピュラー音楽と出会い、12歳でピアノのレッスンも受けるようになり、休みの時間は外でサッカーか鬼ごっこ、音楽室でピアノを弾いて遊ぶ小学校生活を送る。
中学校に入ってからは運動部に憧れを持ちテニスクラブに仮入部するものの、結局楽器への興味が捨てきれず吹奏楽部に所属。金管楽器の経験からリコーダーのように簡単に吹けるのではと勘違いしたままクラリネットを希望。想像したリコーダーとは程遠い複雑な仕組みと音の出し方に苦戦しながらも、当時の先輩の出す楽器の音に魅了されながらエレクトーンとピアノ、クラリネットに励む中学生活を送る。
そんな中、父親の仕事の転勤の為、幼少期から過ごしていた盛岡から仙台へ。学校生活の変化にうまく馴染めない中、黙々とエレクトーンに向き合い当時のヤマハジュニアエレクトーンフェスティバルでは東北大会銀賞を受賞。この時「GRP ALL-STAR BIG BAND」の曲であった事がきっかけでジャズの世界にさらに興味を持ち始める。
その後、高校でも音楽をやりたいと思い吹奏楽部が盛んな泉館山高へ。ここではバスクラ、コントラバスクラも経験し鍵盤楽器とは違う音楽の世界を知ることになる。その後、音楽に携わった事をしたいと将来を考えながらも、当時音楽と人の心に関心があった為、東北福祉大学の心理学科で学びながら演奏活動を始める。
ヤマハで仕事をし始めて程なく2011年の東日本大震災が発生。生まれた地の大船渡市へは地震発生の翌月に行く事になるが、様変わりした町の景色に衝撃を受け、言葉で表現しきれない気持ちを演奏で伝えられないかと当時の夢商店街や福祉施設などで演奏。
仙台ではまだ地下鉄が全線復旧していないその頃、向かいに座った小さな女の子が歌を口ずさみ始めた途端にどこか曇った空気の車内が明るくなった事を目の当たりにする。「あぁ、音楽は歌えばすぐそこに、手を叩けばすぐそこにある。」と深く感動し、人の心に寄り添えるような活動をしたいと思い現在に至る。